スライム
小学生の時、手作りのスライムが流行った。
学校のバザーとか、地域のフリーマーケットなんかにかならずあった。
作り方はよく知らないけれど、デンプンかなにかが使われていて、大抵鮮やかな色の絵の具で着色されている。
それが、今は見なくなったが昔はどの家にも大量にあった、あのプラスチックのフィルムケースに入って1個10円とかで売られてた。
いじったり、テーブルに擦り付けたりして遊ぶんだけど、
まあ手作りだし、デンプンだし、放置しておくと腐るんです。
その腐った時の匂い。つんとするような、すえたような匂い。
あれがなんともいえず臭くて。
だいたいの臭いものは、「うんこみたいな匂い」とか、「シンナーみたいな匂い」とかって形容できると思うんだけど、あれだけは「腐ったスライムの匂い」としか言い表せなくて、この15年くらいぶっと、脳内の「くさいものフォルダ」に独立して置いてあったのです。
あれは時間をおいた精液と同じ匂いだったんだなあ、と今日ゴミを捨てる時に気がついた。
くさいものフォルダ、15年ぶりのアップデート。
もうもどれない。
カイロ
貼るカイロは、粘着面を温めたいところにあてて貼るのではなく、ベタベタしてないほうが当たるようにスカートの内側とかに貼るのがいい。
私を「女」じゃなくしてくれてありがとう。下世話な嫉妬をせずに済んだ。
その分死んだことは、この際どうでもいいや
負わされているもの
これは天命か。
しかし私を選んだのは神ではなく人だ。
人に負わされた幻想というのは、あまりに重いのである。
私が上京したら、ひとりのひとの現実が世界から切れて、異世界に閉じこもってしまうのだろうか。
でもそのように閉じこもることの方が、ちんけな現実に辛うじてぶら下がっているよりも尊いのではないだろうか、とも思う。
北海道は、ほんとうにどうしようもない土地だ。
ああうこきすそしすせほちたなにぬねろり
ああうこきすそしすせほちたなにぬねろり
少し前iPhoneのメモに書いたこと、夢
夢が合説になってた
酔っ払って寝たからだけど眠りが浅くて何度も目覚めた
説明が終わったら次のブースに行くみたいに、睡眠も一通り寝たら目覚めてまた寝てを繰り返した。ぐるぐるぐるぐる
文系教室通りの奥が箱庭になってて、そこからチラッと猛勉強している友達が数人見える。ああ私もやらなきゃ、でもあそこやだな、行きたくないな。
そういえば、前回の授業出なかった人はレポート出しても単位出ないらしいよ、ゆりか大丈夫?ってあやこにいわれた。大量のレジュメを見せられる。歴史。全くわからない。病気でもしたのかと思った、とあやこ。
先生に交渉しにいくところでうっすら目が覚めて、時間割を確認したらあの歴史の授業はほんとにあった気がしてきて
私があまり本を読まなかったのは
高校時代から今までの6年間、私はほぼまったくと言っていいほど読書をしない学生でした。
中学生のころまでは結構な読書家でした。
小さいころは家に絵本があふれていたし、
小学生のころは図書館に住んでた。年に60冊とか借りて賞状もらったりしてた。
中学生の時は朝読書の時間と、休み時間にずっと本を読んでた。
お気づきでしょうか。
自発的に書を求めたのではなく、賞とか朝読書の時間とかを介して義務化されてゆくさまが見えますね。
高校に入ってからは毎日受験の厳しさを説かれ
宿題に追われたり部活で絵を描きまくっていたりしたら本なんて全く読まなくなってしまいました。
大学に入ってすぐ、受験で培った「論文読みテクニック☆」にアレルギーが出始め、活字から離れてゆきました。授業で課された論文をふんばって読むのが精いっぱいになりました。
楽しい本の読み方がわからなくて苦しんでいました。
読んでも読んでも頭に入ってこないですっとんでゆく。
一本道においしいお菓子がたくさん落ちている。それをひとつひとつ拾って食べればとても幸せな気持ちになることは分かっているのに、たまらなくなってそれらを踏み潰しながら走ってしまうような。
大事なことはだいたい本に書いてある。もっともっと読まなきゃいけない。
自分でわかったときにはもう学生生活はほとんど終わっていた。
わたしが自分ですきなものをもとめて、自分で探究する力は、
いつどこで落としてきてしまったのだろう。
いつどこで踏み潰してしまったのだろう。
だれに奪われたわけでもない。自分でどっかに落としてきたんだ。
わたしが脱学校に心ひかれたのは、そういういままでの落し物をぜんぶ学校のせいにしたかったっていうのもあるんだろうなあと今は思う。
もどって探すことはできないから、もっかい自分で探さなくちゃいけないんだろうな。
まずは、この夢か現かみたいな文章と、ちゃんとした文章を使い分けられるようになりたい。